こんにちは。

 

苫米地式コーチング認定コーチの大西です。

 

今日は前回に引き続き、長嶋監督特集です。

 

前回は、4番1000日構想の知られざるコーチング要素についてお話しましたが、今回はそんな長嶋監督に多大なる影響を与えたといわれる立教大・砂押邦信監督に触れていきたいと思います。

 

砂押監督は長嶋茂雄選手の1・2年生の時の監督であり、後に国鉄スワローズでも監督を務めたほどの人物です。

 

砂押監督は、「鬼の砂押」と呼ばれるくらいのスパルタ指導で、練習が終わった後の夕食の後にも1000本ノックを行うほどの熱血指導で有名でした。

 

当時は夜間照明など無い時代ですから、グラウンドにラインを書く白い石灰をボールにまぶし、月明かりに反射する光を頼りにボールを追いかけていたそうです。

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最初の方こそ球の行方は目で追えますが、ノックで石灰が取れていくにつれて、音を頼りにボールに食らいついていくしかありませんでした。砂押監督は、「見えなくても心眼があるだろう。」とまったく手を緩めることはなかったそうです。

 

大学入学時には目も当てられぬ守備だったという長嶋選手が、プロ野球で華麗な守備で人々を惹きつけるまでになったのには、この様な音という抽象的なものに対し身体の動きをアジャストしていくという逆説的取り組みによって培われたものなのです。

 

これは、宮本武蔵が五輪書に記した「構えあって、構えなし」のことであり、コーチングで言うならば、ルー・タイスの「Invent on the way」にあたります。

 

細かいアドバイスを受けてガチガチに型にはまった守備を指導されていたら、決して名プレーの数々は生まれなかったことでしょう。

 

また、砂押監督は、当時では珍しいメジャー・リーグの勉強をし、理論を指導の中に取り入れていたそうです。

 

組織色の強い日本にあって、個性あふれるプレーをしなさいと選手たちに求めていました。とかく長嶋選手には、「君はメジャー・リーグでプレーしなさい。」と言っていたほどです。

 

誰一人としてメジャー・リーグでプレーする選手のいなかった時代に、現状の外側のゴールを設定することを勧めていたのです。

 

つまりそれは常識に囚われるなということであり、高いゴール設定をすることを促した指導であったと言えるでしょう。

 

そんな風に育てられた長嶋選手のその後の大活躍はもはや言うまでもありませんが、特にノット・ノーマルなエピソードをご紹介しましょう。

 

時は流れて1961年。長嶋選手の所属する巨人軍が砂押監督が就任した国鉄スワローズと試合をする日のことです。

 

当時、プロに入ってから初めてのスランプをなかなか抜け出せずにいた長嶋選手は、なんと敵である砂押監督の自宅へとユニフォーム姿で押し掛けます。

 

自分のバッティングをチェックしてもらために、その日の夜に相まみえる敵チームの監督に教えを請いに行ったのです。

 

行く方も行く方ですが、教える方も教える方で、しっかりと長嶋選手のバッティングフォームを見てあげたのだそうです。まさに、師弟ともにノット・ノーマルであることが伺えますね。

 

そして、それだけでは終わらないのがミスタープロ野球・長嶋茂雄の凄いところです。チェックをしてもらったバッティングフォームで翌日の試合では国鉄スワローズからホームランを放ったといいますから本当に凄い選手です。

 

この様に、長嶋選手は砂押監督という指導者からコーチング的要素が織り込まれた指導を受けることによって、才能を開花されたスーパースターなのです。

 

そして、そのレガシーが松井選手へと受け継がれたことは、もう言うまでもありませんね。

 

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よく世間では、長嶋監督のことを「天才」の二文字で簡単に片付けてしまいやすいですが、本当は、常に現状の外側に出続けノット・ノーマルであり続けた、コーチングを実践してきた人なのだということがわかってもらえると思います。

 

メークミラクルなその野球人生の裏側にはコーチング的要素がふんだんに込められていたということなのです。