こんにちは。

 

苫米地式コーチング認定コーチの大西です。

 

今日は、「存在価値と年収」について述べていきたいと思います。

 

世に勝ち組、負け組みという言葉が流布してからもうどれくらいでしょうか?あらゆる分野で、いつの間にか勝ち負けが指標として考えられてしまうことが当たり前の世の中になってしまいました。

 

ふと、スポーツ新聞を目にするといつも思うのですが、勝つと負けるのでは紙面での取り上げられ方は雲泥の差がありますね。

 

勝てば官軍、負ければ賊軍。

 

そして、個人の人生において言うならば、年収がその最たるものではないでしょうか。

 

年収が高ければ勝ち組。低ければ負け組み。

 

お金を稼げるかどうかで、その人の存在価値に優劣を示すという価値観ですね。

 

「もっと勉強していたら、いい会社に入っていい給料がもらえていたのに…。」「出世して給料を上げるために何か新しい資格を取らなければ…。」このような台詞は誰しもが思ったり、聞いたりしたことがあるのではないでしょうか。

 

はっきりと言いますね。「年収=存在価値」ではありあません。お金は個人を評価する尺度ではありません。

 

お金とは、労働に対する相対的な評価として受け取る報酬であり、価値の基準となるべきものは労働そのものなのです。

 

しかし、ほとんどの人の場合、お金を絶対的な価値基準として考えるために、年収の高い低いによって自分の存在価値をその金額に見合うだけのものして捉えてしまいやすいのですね。

 

そして、あまりにもそれが過ぎると、あの職業よりこの職業の方が上だとか、あなたのやっていることより私のやっていることの方が価値があるといった差別的な発想に繋がってしまいかねません。

 

また、勝ち組と比較して、自分は負け組みだなどと思ってしまっているようなら、それこそ当人のエフィカシーは相当低くなっていることでしょう。ここまでくると、お金の価値観に心がかなり支配されてしまっています。

 

では、労働における価値は、年収ではなく何を基準に考えればよいのでしょう?

 

それは、自分です。自分の労働における価値は自分自身で決めて良いということです。

 

今、あなたが行っている仕事が、あなたの中で「私のやっていることは1000万円を生み出す価値がある!」と本気で思って取り組んでいれば、会社から支給される額が300万円であろうとも1000万円の価値があります。

 

逆に年収を1000万円貰っていても、「こんな仕事のどこが楽しいんだよ!奴隷扱いじゃないか!」と思いながら就労していると、ほとんど価値は薄れてしまいます。

 

この様に、労働における価値は労働そのものにあり、自分でそれを決めて良いのです。

 

1000万円であろうが1億円であろうが10億円であろうが、自分の労働にはそれくらいの価値があるという自己イメージを持つこと。

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すなわち、高いエフィカシーがあれば、結果として勝手にそれぐらい稼げるようになって行きますよ、ということです。

 

自分の存在価値を決めるのは、会社から受け取る評価や年収などではなく、自分自身であると知っておいて下さい!